今回はクラス最後に行っている
アファメーション
(肯定的な自己宣言) についてです。
合掌をし
一つめ 親指を眉間にあてて
正しい考えを
二つめ 親指を口元にあてて
良い言葉を
三つめ 親指を胸元にあてて
平和な心を
とおこなってますが、
「正しい考え」ってなに?と
疑問に思ったことありませんか?・・・
あるメンバーさんにお聞きしたら
“そんなことは考えもしなかった”
とのことでしたが。
きっと思考が止まっているのでしょうね☆
スーッとその時のエネルギーを感じている
だけだったかもしれません。
それはそれとして・・・
私は正しい、正しくないと二極の一方を
推奨して言っているのではないんです。
仏教の教えに「八正道」というものが
あります。人間が正しい生き方を
するための八つの方法の道だそうです。
その一つに「正見」があり、まず最初に
位置づけられています。
「正見」とは」正しいものの見方。
それは、自分の勝手なフィルターを通して
この世の中をとらえるのではなく
今ここに起きていることに価値判断せずに
「ありのまま」にみることです。
これはなかなか難しいことですよね。
反射的にも目の前のことへの反応が
出ると思います。今までの自らの経験や
他者に教え込まれた価値観等をもとに
良し悪し、損得など決めてしまいがちです。
しかし~・・・自分が見ているようには
人は見てないかもしれないし
自分と同じように感じていたり
考えているとは限らないわけですよね。
なのでそんな見方をしている自分に
‟気が付いている”ことが大切に
なると思います。これまでに何度も私のブログでは
出てきていますが・・・
意識的にいることは、いろいろと役立つし
処世術にもなる、ヨガは客観視することが
上手になることはお話してますよね。
「正しい考え」という言葉を使って
いますが「正しい見方」=正見と
ご理解いただいて~
クラスの最後 ハートにくつろいでみて
くださいね。「正見」出来ているか
否かを判断することなくそのままで・・・

あとですね、こちらをご紹介~
溝口あゆかさんのブログからです。
“分からないことにくつろぐ”ってステキ♪
ハート♡ そうなんだと思います.。o○
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分からない素晴らしさ♪
思考に同化すればするほど
人は愛よりも正論にしがみつく。
あたかも正論が自分を守ってくれるか
のように正しいことを言っていれば
自分は大丈夫、堂々とできる、ドヤ顔が
できる正しい行いをしていれば
私は自分にも回りにも恥じなくて済む
きっと誰かが見ていてくれる。でも
微妙だけど、どこかほっとしない。
自分は間違ったことを言っていない?
自分のふるまいは大丈夫?
あっ、いけない気をつけなければ
変だと思われる・・・。
なんだかいつも自分を監視している
感じ。
だから、他人も監視してしまう。
他人のあらが気になってしまう。
正しい行いをしていない人に腹が立つ。
自分なりに正しく生きているはずなのに
どこか喜びが少ない。
そこはかとない怒りさえいつもある。
正しさを捨てたら良い?べきを捨てる?
いやいやそれはかなりヤバイでしょう。
非社会的な人になってしまうし
自己中になってみんなに嫌われるだ
ろう。第一、みんながそんなになって
しまったら社会の規制が保たれない。
無法地帯になるかも。
ハートの声に従う?
だいたい、何がハートの声なのかさえ
分からない。私はずっと思考の言う
とおりに思考に従って生きてきたんだ
し、それにハートの声なんて、そういう
自己啓発みたいなスピみたいな
フワフワした話は危ないよね。
理性第一! 理性が私を守る!
きちんと頭で考えるのだ!それに
ひょっとすると思考は現実化しちゃう
かもしれないしね。
自分の思考に気をつけよう。
自我は常に時間と空間、ストーリーの
中で生きている。
でも、気づいていた?
もし、思考がなくなったら時空も
ストーリーも消えてしまうことを。
ハートは言葉を持たず、
今ここしか知らず
ものごとを判断することもない。
ハートは喜びを知っていて、つながりを
糧にし、愛の知性と智慧を携えている。
“真実を知りたい!”という欲求として
私たちの中に現われ
ハートは私を本質へと誘う。
だけど、それも思考があっという間に
奪い取り、すべて頭の理解へ持って
いってしまう。
そうかそうか、悟りってそういうことか
自己の不在ってそういうことか、
なるほど、なるほど。
自分は“正しく”理解してきたぞ。
そして、悟り論争の始まり。
もちろん思考は悪者ではないけど
思考偏重の社会は理屈抜きの
優しさを忘れがち。
理屈抜きに自分を愛することを
忘れてしまう。
ハートにくつろぐ時間を増やしてみる。
そこには、過去も未来もなく
計画や判断もない
定義やストーリーもなく、思考ははじめ
戸惑うだろう。なにも掴めるものが
ない!分かろうとすることを
辞めてみる。
そして、分からないということに
くつろいでみよう。と同時に、
自分の中の分離の思いを癒してみる。
深いところにしまってしまった
自己否定の思いを癒すのだ。
その下には必ず“否定される以前の
生命のままの自分”がいるから。
きっとそのうちハートのエネルギーが
自分の中に広がっていくだろう。
そして、だんだん見えてくるのは
思考の頼りなさとハートのゆるがない
実体性。私たちの本質、ハート
純粋意識はすべて同義語だと
気づいたとき、
新しい地平線が見える♪
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お読みいただきありがとうございました(*^^*)
Om shanti